いただきます

お山では、今年も無事にお会式が終わり、平穏な日常が訪れております

さて、いまは食欲の秋です。

早生種の新米は、もう出回っています。

通常の稲刈りでの新米ももうすぐです。

梨や柿、ぶどうなど果物も、油の乗ったサンマなどお魚も、おいしい旬のものがふんだんに食卓に上がり、一年の実りを実感する時でもあります。

同時に、私たちは、穀物にしても果物にしても動物にしても、人間以外のものの「命」をいただいて、生きていることに感謝しなければならない、そんな季節でもあります。

日蓮宗では、食前には、いただきますとともに、このように唱えます。

「天の三光に身を温め、地の五穀に精神を養う、これみな本仏の慈悲なり。

たとえ一滴の水、一粒の米も功徳と辛苦によらざることなし。

われらこれによって心身の健康をまっとうし、仏祖の教法を守って四恩に報謝し、法師の浄行を達せしめたまえ。 

南無妙法蓮華経

いただきます」と。

たとえば曹洞宗では、こう唱えます。

一つには功の多少を計り、彼の来処を量る
この一椀の食物は、たとえ一粒のお米、一茎の菜といえども、それが耕作され、種蒔かれて…と限りない人々の手を経て、いま自分に与えられていることを想い、感謝していただきましょう。

二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず
こうして無限のめぐみによる食物をいただくについては、常に反省を忘れず、その恵みに値するよう、自己向上を目指しましょう。

三つには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす
美食に向かえば貪りの心をおこし、粗末な食料には怒りと不満をいい、毎日同じ食事にあえば愚痴をこぼす私たちの心の行方を熱視し、これらの三毒の迷いを改めましょう。

四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり
薬は甘苦によって増減してはいけない。日々の食物は、この生命を支えるためにあり、美味・不味・好き嫌いの心を離れていただきましょう。

五つには成道の為の故に、今此の食を受く
食物をいただいてこの身心を支えると共に、一切の生命に感謝し、この日々を、自他の向上と幸せを目指し、毎日を大切に生きて行きましょう。

宗派は違えど、大切な命をいただくという観点では同じことを教えられていると思われます。

もし、そのお米があなたの大切な人が八十八度の手をかけて作ったと考えてください。

そのことを知った時はもう一粒も残すことはできなくなりますよね。

仏さまは、そう教えてくださっています。