お清め塩

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通夜や葬儀に参列した際、お清めの塩を帰りに渡されることがあります。

意味もわからず、自宅に入る前になんとなく塩をパッと身体にかけてる・・・なんてことはないでしょうか。

現在でもそうですが、古来から人は「死」を皆恐れ、同時に「穢れ」とされてきました。

通夜や葬儀に参列した身体を清めることで、自宅や自分のこれからの生活に穢れを持ち込まないようにするという意味がこめられています。

穢れを自宅に持ちこまないためなので、本来は敷居をまたぐ前にするのが良いのですが、玄関に入った後に使っている方もよく見かけます。

古来では、塩で清める他にも川などで身体を洗い清めるという方法もありました。

葬儀が自宅ではなく式場で行われることが一般的になったころから、塩でお清めをすることが習慣化していったようです。

川で身体を洗い清める、というものは現実問題として季節によっては辛いものです。

それに比べ塩で清めるというものは、手軽であり喪主側や式場からしても用意がしやすく、参列者側からしても持ち帰りやすいという面からも普及していったのでしょう。

そんなお清めの塩ですが、最近では排除の方向になりつつあります。

特に仏教では、故人は亡くなった後は仏様になると考えられていることからも分かるように生と死を別の世界として考えず、死は生の延長にあると捉えらています。

塩で清めることで、故人を断ち切るイメージを持つことから、そんなことは必要なのかと疑問を持たれる方も増えてきたからです。

実際、生前に親しかった方を払うような行為に、難色を示す気持ちもあるのでしょう。

排除の傾向にあるお清めの塩については、使わないといけないというものではありません。

よって、使う使わないは自己判断で構わないものなのです。