伊豆法難会
池上本門寺では毎年5月12日、午前11時より大堂において聖人を偲び、伊豆法難会と呼ばれる報恩の法要を行っています。
日蓮上人の確固たる信念に対して、他宗の激烈な非難と析伏の行動が、数々の法難をもたらし、そのなかで特に大きなものが「四大法難」と呼ばれます。
まずは、文応元年(1260年)8月27日、「松葉谷の法難」と呼ばれるものが起こります。
この7月に、北条時頼に「うち続く災害と社会不安は、この国に邪法がはびこってるからだ。このままでは内乱や外国の侵略によって国が滅びるから一刻も早く「法華経」に帰依せよ」と、忠告・予言する警世の書「立正安国論」を献呈します。
しかし、政府はその言葉を信じるどころか、聖人の殺害を命令します。
そして、聖人のおられた松葉谷の草庵を襲撃し、火を放ったのです。
聖人は奇跡的に脱出して、下総に難を避けました。
しかし、下総に長くはとどまりませんでした。
次に起こったのが、「伊豆法難会」です。
翌年、弘長元年(1261年)5月、聖人は鎌倉に出て活動を再開します。
しかし、念仏信徒たちの讒言を受けた幕府は、12日に、間髪入れずに聖人を逮捕し、今度は伊豆・伊東に流罪にしました(これは、第二の法難と呼ばれます)。
俎岩(まないたいわ)という、本当に一歩足を滑らせれば海に落ちてしまうような場所に、置き去りにされたのです。
それでも、生き続けた聖人には、天が与えた使命があるとお考えになられたのだと思われます。
流罪を許されるまで2年の月日を過ごします。
しかし、聖人はこれに屈服することはありませんでした。
なぜなら、法華経には、「北家の持経者は、しばしばところを追い出され、自分の住む寺から遠く離れることになるであろう」と記されていたからです。
四大と言われますから、まだまだ聖人の受けた法難は続いたのです。
当日の講師は、照栄院の石川龍彦常任です。
大堂正面から入られて、お坊さんにお声をかけて、所定の位置に案内してもらうようにしてください。