伊豆法難会 2018


鎌倉 由比ガ浜の夕景

お山では、今週末の5月12日午前11時より大堂において、日蓮聖人を偲び『伊豆法難会』が開催されます。

御聖人の人生の中には「四大法難」というものがあります。

御聖人の確固たる信念に対して、当時の他宗の激烈な非難と折伏の行動が数々の法難をもたらしていったのです。

第一に、1260年8月27日に起こった「松葉谷の法難」。

その次に起こったのが、1261年(弘長元年)に起こった「伊豆法難」です。

日蓮聖人は、鎌倉に出て活動を再開します。

しかし、念仏信徒たちの戯言を真に受けた幕府が、間髪入れずにお聖人様を逮捕したのです。

それが、5月12日なのです。

お聖人様40歳の時でした。

当時の幕府は、日蓮聖人を伊豆・伊東に流罪にし、俎岩(まないたいわ)という一歩足を滑らせれば海に落ちて激流に飲まれてしまう場所に置き去りにしたのです。

しかし、そんなお聖人様を助けて匿ったのが、材木座の漁師舟守弥三郎(日実)です。

その隠れ家が、沼ケ浦に建てられた妙長寺です~江戸時代に津波にあい、現在地の材木座海岸近くに移りました。

妙長寺の伊豆法難の相輪塔は、関東大震災で倒壊した鶴岡天満宮の二の鳥居の柱を土台にしていると伝えられています。

また地頭の伊藤八郎佐衛門が重病に陥ったとき、お聖人様は病気平癒の祈祷を行いました。

それを機会に、八郎佐衛門は念仏信仰から法華経に帰伏し、お礼に海中より引き上げられたと言う立像の釈迦仏(一体仏)をお聖人様に捧げました。

その立像の釈迦仏は、お聖人様入滅後に墓所の傍らに立てて置くように命ぜられた釈迦立像仏のことです。

お聖人様は、この法難中に「四恩抄」や「教機時国抄」などを述作されました。

「四恩抄」には、流罪配流の身になったことは、仏の未来記である法華経を我が身に当てて、符合する不思議に法華経の行者としての喜びが記されています。

また、仏法を習う者としての悦びが四恩を報ずることでもあると大瀬なのです。

冤罪であった伊豆への配流も、1263年(弘長3年)2月22日、1年9カ月ぶりに幕府より赦免状が発せられて、お聖人様は再び鎌倉の草庵にお帰りになりました。



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