僧侶との関係

筆者の住まいの近くに総合病院があります。

その病院の3階の特別室から、古刹と言われるお寺の本堂、角度によっては墓地まで見えます。

その病院が建った時、開院前の内覧会で、「病院からお寺が近いっていうのもどうかと思う。特別室からの景色がお寺だなんて」という声もでたそうです。

この話を伺った時は、??と思ったのですが、後になってよく考えてみると、窓からお寺とかお墓が見えるから不吉、とか、縁起が悪い、ということなのかなと思いました。

筆者などは、自宅前が墓地でしたので、お寺とか墓地が至極当たり前の風景でしたが、一般的にはそうした印象があるのかなとも思いました。

でも、お寺とか墓地が見えるから不吉とか縁起が悪いとか、本当にそうなのでしょうか。

法律が変わって、寝たきりの人でも3か月に一回は退院勧告をされる時代になりました。

昔は種々事情のある方が、特別室で寝泊まりをしながら(籍を置いている)、実は仕事に行っている、ということもできたそうですが、現代では、かなり重篤な人でも短期間しかいられない、入院期間が短くなっているのです。

さて。

入院期間中に、お寺のご住職がお見舞いに来てくれるという、菩提寺と檀家の関係性を考えてみてください。

とりあえず、同室の入院患者の感情は別ということで。

入院中は、いや、人間病気をすると、心細くなります。

家族やお友達の励ましも、なぜか心に響かず、本当によくなっているのに主治医の「もう少しで退院ですよ」の言葉も嫌味に聞こえてしまう。

病気をするというのは、心が荒れて寂しい状態になっているのです。

そんな時、人生の道を説くべき存在の菩提寺のご住職が来てくれたら、いろいろなお話ができますね。

心細く感じていることや、自分のこの先はどうなっていくのか。

もちろん、今まで生きて来た道についてもお話しできるでしょう。

反省すべき記憶もあれば、こんなこともできたという自信も湧いてくるでしょう。

仏教が「葬式仏教」=お葬式の時にしかお寺の僧侶とは会わないだけの関係と言われて久しい昨今。

でも、元々お寺は子供たちにとって寺子屋であり、人々の困りごと相談所でもあり、命を助けたい人があればみんなで祈る場所でもありました。

自分の心が一番素直に出せる場所です。

もちろんお寺のご住職も忙しくて、檀家一人一人のお見舞いはできないと思います。

でも、本当に心細い時は、病院に来てお話を聞いてくださいと言ってもいいのではないか、と私個人としてはそう思います。

それが、菩提寺と檀家、人間と人間の正しい付き合い方ではないのかなと思います。

私などは、お寺のご住職とお話しをしていると、主治医の話より不思議と心が落ち着くのです。

また、菩提寺がない方でも、仲良くお話ができるお坊さんとお友達になってみてはいかがでしょう。

それだけでも、人生はかなり変わるのではないかなと思います。