参道と産道
お寺の門(あるいは神社の鳥居)から本堂(お宮)までの道を参道といいますね。
これは、一説によると、生き物が生まれてくる、特に人間が母親の胎内から生れてくる道:産道に由来するのではと言われております。
また、逆に参道から、産道になったとも言われています。
お宮が子宮であり、門が出口(入口)です。
元々はお宮にいた人の魂が、外界に出てみたいと念じ、仏さまもならば外界で修行してくるがよいと認めた時に、人という形になります。
人は傲慢ですから、今の時代は妊活だの、科学技術を持っての妊娠だので人を生み出そうとしていますが、本来は、仏さまや神様の思し召しを持って遣わされてくるものであり、生まれる家庭や環境もまた決められているのです。
決して人間ファーストではないのです。
お産では、陣痛が来てから3日以上かかって生まれる場合もあります。
いくら、陣痛促進剤を使ったとて、帝王切開(これも人間のおごりの一つですが、生命を守るためにはいたしかたない手段です)でもなければ、生まれるべき時にしか人は生まれてきません。
お寺や神社の参道は、そんなに負担になる距離でもないです。
産道も、定規でも測れる短さです。
でも、そこを時空を超えて人は通ってくるのです。
ある和尚さんがおっしゃっておりましたが、人間にとって自分が生まれてきた月が一番辛くてまた注意を払わなければならないのだそうです。
誕生日の月は、菩提寺あるいは氏神様(産土様)に、お参りをしましょう。
参道を通って、お宮(本堂)に近づくことで、人は生まれた時の状態に戻ります。
母親の胎内に戻るということです。
お参りしたから、5円玉、100円玉ぽーんと一つでお願いするだけではなく、「誕生月の今までおかげさまで生きることができました。まだまだ外界で修行を積んで帰ります。」と報告もしてみてください。
きっと気持ちが晴れ晴れすることと思います。
と同時に、仏さまや神様に益々愛される自分になれるのではないかなと思うのです。