尊厳死
植物状態にある病人や患者さんなどは、延命治療を続けることで生きながらえることができます。
しかし、植物状態で生きながらえることは、本当に生きるということなのか?
という疑問を持つ人があらわれはじめました。
もちろん人には生きる権利が認められていますから、どんな状態であろうと、生きる意志のある人には治療を続けることが大前提です。
しかし生きる権利が認めらているのならば、死ぬ権利も認められていいのではないかという意見が出はじめました。
そんな、自らの意思で尊厳を保ちながら死ぬことを選択することを「尊厳死」と言います。
尊厳死協会が推進している「リビング・ウイル」では、以下の3点を延命医療の拒否として推進しています。
不治の病で死期が迫っていると診断されたときは延命措置を拒否する。
しかし苦痛を和らげる処置は希望する。
数カ月以上にわたって植物状態に陥ったときは一切の生命維持措置を行わない。
従来の死の判定は、心臓が停止し、呼吸が停止、瞳孔が開く、の三点で判定されていました。
しかし、脳死も死として認めてもらおうという運動です。
脳死も死として認められるようになったことで、本人が無意味だと思える延命治療を断れるようになりました。
中には十何年も植物状態のまま生かされていたケースもあり、それが本当に「生きていることなのか」と議論されたこともありました。
脳死が本当に死であるかどうかは、個人の考え方であるので、否定することも肯定することも自由です。
ただ、尊厳死という考え方があることによって、個人による選択の自由が与えられた、ということなのかもしれません。