小松原法難会法要
11月11日土曜日、池上本門寺大本堂にて「小松原法難会」の法要が行われます。
午前10時から法要、午後1時から法話となっております。
さて、「小松原の法難」とはどのような出来事だったのでしょう。
遡ること文永元年(1264年)10月、約2年の伊豆流刑(松葉谷法難)を許されたお聖人様は、父の墓参りと母である梅菊さまの病気見舞いへと、10年ぶりで小湊に帰省します。
現代の言葉に直すならば「今、両親に会わなければ二度と会えないかもしれない」。
お聖人様なりに現状未来を鑑みて、激しくそう思ったに違いありません。
また、それは一つの危険な旅でもありました。
実家に着くと、梅菊さまは瀕死の床に伏しておられました。
「日蓮、悲母を祈りて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命を延べたり」という、病気退散の祈願の験を現し、梅菊さまはたちまち元気になったのです。
しかし、ここで第三の大難が待ち構えていたのです。
11月11日、地元の信徒・工藤吉隆の屋敷に向かう途中、小松原の大路でお聖人様を憎む地頭・東条景信をはじめとする数百人の念仏者の襲撃を受けたのです。
吉隆と弟子の鏡忍坊の二人が殺され、門下2人が重傷を負い、お聖人様ご自身も左腕を折られ、眉間に刀疵を負われました。
いよいよ最後かと思いきや、難を逃れたお聖人様は、家のものに迷惑をかけないように、家の近くの岩穴に身を隠され、通りがかりの老婆から贈られた綿帽子を被って寒さをしのがれました。
かろうじて命拾いしたということです。
このことが「小松原の法難」と言われる出来事です。
お聖人様は、法難のたびに、まるで奇跡のように間一髪でその危機を切り抜けているのです。
ただ、法難はこれで終わったわけではなく、9月にもこのコラムに記したように、これから約7年後に、龍口法難へと続いていくのです。
お聖人様は、わが身にふりかかる災難を見抜く力を持ち、そしてまた、信仰を積み重ねていったとも言えると思います。
その出来事の際に、切り落とされた命たちのために、法要は約七百年経た今も行われているのです。
南妙法蓮華経。