弔辞を詠む

暦は既に旧盆の14日、月日が経つのは本当に早いものです。

しかし、このジメジメとした気候には困ったものですね。

なんでも、今シーズンは記録的な日照不足とかで、作物の出来に影響が出ているようですが、ようやく週後半ぐらいから梅雨明けとなり、その後に夏日が到来するとのこと、個人的には待ち遠しい限りです。

さて、今回は弔辞についてふれてみたいと思います。

弔辞は、故人への最後の別れの言葉を参列者の方々の面前で披露するものです。

故人の思い出や人柄、遺族へのお悔やみなどを語り、最後は故人への冥福を祈る言葉で結ばれ、主に葬儀の告別式などで語られるものです。

弔辞は誰でもが読めるものではなく、故人と親しかった人が参列者代表として許されるものです。

当方のお仕事上の知り合いに、Aさんという方がおられるのですが、今回はその方が最近になって弔辞を詠まれた際のお話をご紹介させていただこうと思います。

Aさんの小学校時代の担任の先生がお亡くなりになられた時のお話しです。

その恩師が90歳になるまで、双方の家族ぐるみでお付き合いされていた方で、とても親しい間柄であったそうです。

Aさんは、生前「先生の弔辞は、私が読みますからね」と冗談まじりで恩師に話されていたそうです。

よくよく考えてみれば、会うたびにとても失礼な言葉を繰り返し言っていたなあと感じておられたそうです。

しかし、それほど親しい間柄であったのでしょう。

Aさんは、御喪家の代表から「ぜひ弔辞をお願いします」とお願いされたそうです。

亡くなってから告別式まで、4日間しかありません。

そして、この弔辞の文面を仕上げる事は、今までに恩師からだされた学校の宿題、人生の宿題のどれよりも難しかったそうです。

と同時に、これは恩師からだされた最後の宿題である、とご自身は感じられたそうです。

しかも親しかった恩師の弔辞となると、この時ばかりは言葉が浮かんでこなかった、とのことでした。

次から次へと思い出があふれ出てきて、在校時代の先生のエピソードとか、クラスメートと出来事のことなども文面に入れなければならない、など次々と浮かんでは消え、なかなか文面がまとまらなかったそうです。

弔辞では、故人との関係を参列者の皆様方にご紹介する部分も多少は必要です。

ただし、弔辞は長ければいいものではなく、3分程度でも参列者は長く感じます。

そして何よりも、Aさんご自身が最も心配した事は、弔辞を詠んでいる最中に自分が泣きだしてしまわないか、というご自身の生理的現象だったそうです。

お孫さんがおじいちゃんを送る言葉ならば、涙があって当然でしょう。

しかし、Aさんが教え子であるという立場は、「もう大人だから先生も心配しないで旅立って下さい」も込めなければなりません。

よっと当日は、意識的に淡々と低い声で弔辞を詠み上げられたそうです。

そもそも、この弔辞を完成させる言葉の基礎「あいうえお」を教えてくれたのは、紛れもない亡くなられた恩師なのです。

そして葬儀の翌朝、Aさんは大声で泣かれたそうです。

当方がこのエピソードを伺った時、亡くなってしまった恩師への強い愛情、そしてAさんご自身がとても誠実で、なんと立派な方なんだろう、と感動しました。

稀に葬儀で、故人を褒めるどころかご自身の自慢話しやこれまでの実績などを延々と述べるお偉いさんをお見受けすることがありますが、こうしたことは是非とも避けたいところです。

自身が弔辞を読む機会があった際は、Aさんを見習い、参列者の代表ということ、参列者が飽きない弔辞、そしてなによりも故人への御供養の御心、こうした事柄を忘れずに心掛けなければいけないなあ、と強く思った次第であります。