改葬(かいそう)

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さて、今年も春のお彼岸が明け、いよいよ春本番となりつつある本日は、改葬(かいそう)について、あらためて記してみたいと思います。

現代における改葬(かいそう)の世間一般的な意味は、こちらの記事をお読みいただければと思いますが、本日は有識者の専門的な見地を交えながらつらつらと進めたいと思います。

改葬の民族学的意味については、日本の民俗学者である佛教大学歴史学部歴史文化学科教授、八木透さんは『日本の通過儀礼』にて、以下のように書いておられます。

「それにしても、いったいなぜ、埋葬墓地を掘り起こして遺骨を取り出す必要があったのだろうか。

改装を行う理由について、八丈島では〝墓地が狭いために新しい死者を埋葬するスペースを作るため〟と語る人が多いが、〝シャリトリをすると死者に出会ったような気になれる〟ともいい、古くからのシャリトリの意味を示唆するような伝承も聞かれる。

筆者は1970年代に八丈島でシャリトリの現場を見たが、小さな子供達を含めて大勢集まり、きわめて賑やかに行われていたのを思い出す。

また、終わった後は多数の親類や村人達を招き、婚礼に匹敵するほどの盛大な宴が開かれていた。

筆者は改葬の持つ意味を、死者そのものに対する祭祀としては、最後の段階における儀礼であり、それは死者の存在を〝遺骨〟を通して再認識し、同時に〝死〟という事実をも再認識するための機会であったのではないかと考えている」

と述べています。

ここでいう「シャリトリ」とは、「墓地を掘り起こして遺骨を取り出すこと」を指していると思います。

仏教では一般的に、死者の供養は三十三回忌で年忌供養を終えることになっていますが、場合によって百回忌まで行うときもあり、半永久的に行われると言っても過言ではありません。

このあたり、仏教には「○○回忌までは行わなければならない」というような厳格な戒律があるということを聞いたことはありません。

ただ、日本の古代の先祖信仰では、割と短い期間に死者はその個性を失って、先祖の一群の中に統合されてしまいます。

また、そうするための「シャリトリ」であり、洗骨であり、改葬であったと考えられるようです。

長い長い年月を経て、いつしか遺族たちは死の悲しみを忘れます。

しかし、死者を忘れ去るというのではなく、祖先として大切に祀るのです。

祖霊となった死者は、年に数度やってきて、共に食事をし、近くから子孫の様子を伺っていると信じられてきました。

沖縄周辺では、現在でも一族が墓に集まり賑やかに食事などをする風景が見られるとのことです。

この地域が持つおおらかな埋葬文化には、学ぶ所が多くあるような気がしてなりません。