池上本門寺 松濤園

松濤園は、池上本門寺の北側に位置する庭園です。

本門寺旧本坊の奥庭として、桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州によって作庭されたとされています。

作庭に当たり、湧き水が出る池を中心にして、遠州流の茶道の極意を具現化するために、四千坪の敷地の各所に茶室を配しました。

それによって、来賓者が回遊する屈指の名園と呼ばれるようになったのです。

池の周囲には、洲浜・織部井戸、船付場・鶴島、亀島・魚見岩、太鼓橋などを設えて、滝口方面に渓流・沢渡り、滝見橋・松濤の滝などが造られているのです。

また、園内で西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城の会見が行われ、隆盛の弟の西郷従道が揮毫した両雄会見碑や、橋本雅邦筆塚などがあり、それらは東京都史跡指定を受けています。

一般公開期間以外に、一般の人の入園はできません。

「見どころ」

<最後隆盛と勝海舟会見の碑>
慶應4年(1868年)4月に、西郷隆盛と勝海舟はこの庭の東屋で江戸城明け渡しに関する会見をしたと伝えられている。
本門寺は当時新政府軍の本陣がおかれた場所でした。
東京都史跡指定。

<茶室「根庵」>
三井の祖である増田鈍翁(孝)の庇護の厚かった陶芸家大野鈍阿の住まいでした。
この建物と、茶室「鈍庵」の二棟を裏千家より寄贈されて移築したもの。
「鈍庵」に対して根庵と名付けられる。
八畳間の茶室二間、一回の最大収容人数は50名。

<茶室「鈍庵」>
四畳中板の茶間で、栗材を使った建物。「鈍庵」の名は、大野鈍阿が自らの名にちなんで付けたものです。

<茶室「松月亭」>
庭の二紙の小高い見晴らしの良い場所に建てたられた東屋です。
お茶会では立礼席として使用されます。
床几等を配し、60名の席を作ることができます。

<茶室「浄庵」>
平成4年4月に完成した茶室。庭園の一番高いところにあり、国賓等を待遇できる茶室は、法華思想である「水」にちなみ「浄庵」と命名されました。

<雅邦の筆塚>
狩野派の画家で、明治美術界の指導者でもある橋本雅邦(1835~1908)が使った画筆を納めた筆塚です。
雅邦の弟子が狩野派の由緒深い池上本門寺に建立したもので、気品高い九層の石塔は見事なものです。

<其角の句碑>
江戸中期の俳人で蕉門十哲の一人である、榎本(宝井)其角(1661~1707)の句碑。
「夕立や 田をみめぐりの 神ならば」
向島の三囲(みめぐり)稲荷社に納められた有名な一句です。
しかし、なぜここにあるのかは不詳です(日蓮宗と其角の関係は深い)。