松葉谷法難会

日蓮聖人が、文応元年(1260年)7月16日に、鎌倉幕府五代執権北条時頼に「立正安国論」を提出しました。

その内容が当時すでに起こっていた地震や異常気象、疫病や飢餓が、法然をはじめとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものだと、厳しいものでした。

それだけに、幕府へ宗教政策の転換(法華経を正法とする)を促すものでした。

政治の当局者をいさめる行為。

時頼は、事を荒立てるのを嫌い、聖人の予言・警告を無視しました。

しかし、幕府上層部の念仏信徒が、聖人の暗殺を企てたのです。

当時、聖人は、今でいうところの神奈川県鎌倉市にある松葉谷に草庵(後の法華堂)を構えていました。

文永8年(1271年)の龍ノ口法難までの約18年間、布教活動のための起居の場所でした。

ところが、「立正安国論」提出から約1か月後の8月27日に、上層部にそそのかされた念仏信徒(浄土教信者)によって草庵を夜間襲撃され、焼き討ちされたのです。

これをもって「松葉谷法難」と呼びます。

奇跡的に、聖人は、下総国中山に避難しました。

しかし、長くとどまってはおらず、しばらくは下総の土地で布教したのち、翌弘長元年(1261年)5月に、また草庵に戻りました。

その後すぐ5月12日に「伊豆法難会」が起こってしまうのです。

しかし、聖人は「法華経」の中で予言していた「法華の持経者は、しばしばところを追い出され、自分の住む寺から遠く離れることになるであろう」ですので、苦難に屈することはありませんでした。

8月27日は、日蓮聖人の徳を偲んで、法要を行っています。

11時から法要。

13時から法話が、松葉谷法難会として池上本門寺大堂で営まれます。



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