死の選択

どの宗教においても、自分から自分の命を絶つというのは禁じられています。

宗教の高い位の方が即身成仏(ミイラ)になったことは歴史上あり得ますが、現代では、断食をある程度の日数行い修行とし、死なないで(死なせないで)生還します。

毎年12月になると、自殺を選ぶ人が多くなるという統計が出ています。

死にたいという気持ちを持った人全員を「いのちの電話」をフル活用しても止めることはできません。

しかし、あなたの周囲で「死にたい」という思いを持った人に対峙することはできます。

一人一人生きることが精いっぱいで、自分以外の人の心などかまっていられないのもわかります。

でも、何らかのサインを出していることに気が付くことはできます。

まだ、「死にたいんだ」とか口に出している人は実行に移すことは少ないので、心のケア=話を聞くことでなんとかなります。

しかし、「死にたい」と再三言ってた人がそれを口に出さなくなり、実に前向きな行動をし、絶妙な笑顔を見せるようになった時には、逆に気を付けてください。

「突然」が来ます。

人の命と言うのは案外しぶとくて、刃物で手首を切りかろうじて皮一枚でつながっていて2Lの出血量があっても「仏さまが決めた命日」になっていなければ死にません。

たくさんの薬物を飲んだとしても死にません。

今の時期ですから冬山に登ったとしても死にません。

逆に助かって、後遺症で苦しむようになっています。

死ぬって、案外生きることより難しいのではと思います。

首を吊ったとしても、発見が早かったり、死ぬほどの体重がなければ、今の医学では、寝たきりで生かされてしまいます。

でも、何回も自殺未遂を繰り返して、「これではだめだ、ちゃんと生きよう」と決心して、病院を出た瞬間に交通事故で死ぬこともあります。

その人は生きることをやっと選択したのに、「仏さまの決めた命日」が来れば、命はもろいほどになくなってしまいます。

死にたいほど苦しい時は、自分の中にその思いをため込まずに、身近な人でなくてもいいです、誰かに話しましょう。

そして、睡眠薬を多少使ってもいいから眠りましょう。

そして、無理してもいいから食べましょう。死んだような毎日でも、食べて眠って、誰かと会話すれば、生きる時間にまた必ず合流します。

だから死なないでください。

死ぬあなたは、逆にいい。

残された者は、その一生の時間、「なぜ話を聞いてあげられなかったんだろう」と苦しい思いで生きていくのです。

そこから逃れることはできません。

なぜなら、あなたは、唯一無二の大切な人だからです。

あなたの命はあなただけのものではないからです。

「仏さまが決めた命日」まで、生きぬいてください。

だからお願いです。

自分から死んではダメです。