盂蘭盆施餓鬼会供養
池上本門寺では、明日7月7日(土)午後2時より、本殿に於いて『盂蘭盆施餓鬼供養会法要』が営まれます。
参列する檀信徒の皆様と共に読踊唱題を致します。
各家先祖代々の霊や新盆の霊、戦争災害、交通事故等殉難の霊、法界万霊に御供養の心を捧げるのです。
いわゆる、お盆供養です。
お盆は、お釈迦様の十大弟子のひとり、目連尊者が餓鬼界で苦しむ母の供養をしてもらったことに由来すると言われています。
では、目連尊者は、母親のどのような姿を見たのでしょう。
母親が天上界で何に生まれ変わっているのか確認を試みます。
母の居場所を天眼で観察したのです。
ところが、母は、天上界にはいませんでした。
自分には慈悲深い母がなぜ天上界にいないのか。
子どもにとってはやさしい母親でも一人の人間としては、罪深いことをしていることがあります。
現代でも当てはまりますね。
母親は、天上界どころか餓鬼界に堕し、地獄のような逆さ吊りの責め苦に遭っていたのです。
驚いた目連尊者は、供物を捧げます。
しかし、その供物はたちまち炎を上げて燃え尽きてしまったのです。
お水を捧げようにも、それもすぐに渇いてしまいます。
困り果てた目連尊者は、お釈迦様に相談しました。
お釈迦様は、亡者救済の秘法(施餓鬼の秘法とも)を尊者に伝授します。
尊者は教えに沿って法を施しました。
するとたちまちのうちに母親は地獄から抜け出て、歓喜の舞を踊りながら昇天したとのことです(舞を踊ったことから、盆踊りが発生したと言う説もあります)。
どんなわずかな罪でも、人間という生き物は起こさずにはいられないものです。
ですから、天国に迎い入れられる人は本当にわずかなものです。
自分は天国に行けると驕ることなかれです。
地獄に行く覚悟をしながら生きる。
そして、誰かに尽くして尽くして無私の心を持って亡くなって、地獄に落ちるとします。
でも、そこで、生きている者たちが「あの人には世話になった」「天国にいることが望ましい」と盂蘭盆施餓鬼会で強く祈られた時に、天上界に行ける機会を与えられるのかもしれません。
他人を顧みず、我が我がと生きた人は、救われないということです。
それでも、どんな人間にも良いところはあったのだからと、地獄から天上界にいけるように、盂蘭盆施餓鬼会は行われるのです。