精進とは

syojin001

精進という言葉は、本来、仏道に専念することを意味します。

でも、今は『精進』と言い切ってしまうと、『これから精進します』=『がんばっていきます』という事に捉えられがちのような気もします。

これは、1つのことに精神を集中して懸命に努力するということにもなりますね。

そして、より身近には『お精進』と言う言葉が用いられると思います。

仏道に専念する他、一定期間行いを慎み、身を清める、肉食(魚も含)を断って、菜食をする。

などが、仏教的な意味として存在するような時代になってきました。

お精進とは、四十九日までの間、精進料理(肉や魚など他の生き物の命を奪わない食材)を食べて、新仏が仏様の修行に導かれることを祈念する、生きたものの修行の時間でもありました。

けれど昨今は、長くても初七日までには、四十九日、百カ日の法要までをまとめて行うようになりました。

さらに仕出し屋や料理屋さんのお考えで、『精進上げ』『精進落とし』だからと、肉や魚、豪華な刺身盛りまで出るようになりました。

そこに、元々のお精進に対する畏怖の念はもう存在しない気がするのは私だけでしょうか。

元々、近所の仲間(構)の女性たちが、くるみこんにゃくや飾り野菜で作った煮しめ、しいたけとがんもどきのなど煮物など、地元の風習に根ざした本当の精進料理を手作りして、仏様に捧げていたのです。

今は、最後の汁物が出ると、喪家の挨拶よりも早くに各々帰ってしまいます。

それでは、仏様に、これから親戚一同、あるいは近所一同が、喪家を守っていきますということには、ならないような気がします。

ここで唐突ですが、本門寺花峰の店頭において今年の春から『精進アイス』というデザートの販売を始めました。

アイスなのに、牛乳も玉子も使用せず、お精進の元になる『大豆』のみで作られた口触りのよいアイスで、お客様からは発売当初より大変ご好評を頂いている商品です。

花峰のご提案といたしましては、この精進アイスを『精進落とし』の最後に参列者の皆様へお出ししたらいかがでしょう。

喪家が『これから残された私たちでがんばって生きます』=『精進します』という心づもりで並んで、列席した皆様にお礼を述べることができる一息になるかと思います。

参列者をばらばらに帰させるのではなく、最後まで礼をつくしてこその『精進』だと思えます。