葬儀に対する価値観の変化
日本が経済大国を誇っていた時代は、葬儀規模も大型化し、祭壇はどんどん大きくなり弔問者がたくさん来ることが良い葬儀、とされてきました。
一般の人の葬儀もどんどん派手になり、また高額になりました。
都市部においてのみでなく、地方においても人々の葬儀規模への要望は大型化していきました。
この葬儀の大型化に一番積極的だったのは当時の葬儀社かもしれません。
葬儀社はボランティアではありません。
葬儀社は、れっきとしたとした事業会社ですから売上を伸ばしていかなければ運営も成立しません。
葬儀の高額化と大型化は、葬儀社が一役買いましたが、社会に受け入れられたからこその出来事なので、誰がどうと言えることではないのかもしれません。
葬儀は大型化する一方で、大切な遺族の心を癒す力を失っていきました。
残された遺族は、弔問客の接待をしているだけで疲労困ぱいし、肝心な故人とのお別れをする余裕も全くなく、心身および経済的負担は計り知れませんでした。
葬儀大型化の犠牲者は、大きな葬儀を営まなければならなかった遺族そのものだったのです。
しかも高額な費用が一瞬のうちに消え去るという悲しいオマケまでついて。。。
盛大な葬儀を行って満足した遺族がどのくらいいたのかは知る由もありません。
ただ、高いお金を払っただけで心は全く癒されなかった、という方達が今度は送られる側になりつつあります。
そのせいかどうか、葬儀に良いイメージを持っている人が少ないのもこの世代の特徴。
葬儀の規模よりも、葬儀の質を重視する人たちによって家族葬がしめやかに執り行われています。
こうした人々の葬儀への価値観が、現在のような小規模葬儀の数を増やし、この家族葬という葬儀様式を一般化させたのかもしれません。