盆棚の「茄子と胡瓜の馬」
早いもので、激動の2016年前半も終わり、本日からお盆月に突入です。
そろそろ、盆支度などもしておきたいところですが、今回はお盆には欠かす事のできない盆棚の「茄子と胡瓜の馬」についての歴史について、少しだけ触れてみたいと思います。
お盆の馬は正確には「精霊馬(しょうろううま)」と呼ばれ、歴史は平安時代からありました。
この時代の盆棚の馬は「麦藁の駒、瓠の馬」を田舎では作られていました。
瓢(ひさご)は「ひょうたん」や「ゆうがお」、「とうがん」等の総称で、昔はそれらを使って馬を作っていました。
現在のように茄子と胡瓜が使われるようになったのは江戸時代から、お盆の時期は夏野菜の時期と重なるので手に入りやすいという理由も一説にあります。
東京の一部の地域ではマコモの馬(イネ科の多年草、それを乾かして馬の形にする)がお盆の時期に売られ、神奈川県や静岡県、山形県の一部では藁の馬、一部の地域ではキビガラの馬が使われていたそうです。
野菜は基本的に割りばしで足を作って馬を作るのは、今でも変わりません。
現在は、ご先祖様の「お迎え」用として、からあらかじめ茄子と胡瓜の馬を作って供えるのが普通ですが、昔は「送り火」までに作って供えるのが基本だったそうです。
昔は冷蔵庫やエアコンなどがありませんでしたので、野菜が痛みやすい時期に作ってご先祖様をお送りした後はあり難く食卓に上がる、合理的といえば合理的と言えるでしょう。
その点、マコモの馬などが飾られていたのは、そういった事情もあるのかもしれません。
現在でも、藁などで作られた馬を盆棚に飾られています。
どの地域も「茄子と胡瓜」という形ではなく、茄子二体や胡瓜二体など、地方によってはバラバラでしたが現代のように「茄子と胡瓜の馬」となったのは江戸時代以降だと考えられています。
「行きは胡瓜の馬に乗り、帰りは茄子の馬に乗る」と言われていますが、元々茄子は「牛」の役割で、お盆の精霊棚にお供えしたお供物を持って茄子の牛の背に載せ、胡瓜の馬(又は茄子の牛)に乗って帰る、元々はご先祖様を「送り用」の馬と牛だったようです。
年に一回、家族で暮らせる時期に、帰りは沢山お土産を持って送りたいですね。