本門寺の除夜の鐘
さて、早いものでいよいよ明日は大晦日です。
みなさんは、大晦日の昼間にお寺へ行かれたことがありますでしょうか。
昨年の大晦日のことですが、当店のあるお客様がこんなことをおっしゃっていたのを思い出します。
「大晦日は何かと気忙しいのですが、なぜか呼ばれるようにお墓に足が進んでしまうのです。でも、大晦日のお墓の空気は不思議と澄み渡っていて、とても清々しい気持ちになれるのですよ。」と。
ここ数年、大晦日のお忙しいところを縫うように、お墓参りをする方が増えているように思えます。
お山は高台にありますので、冬は大分寒いですが、空気が透明に感じます。
私の気のせいかも知れませんが、仏さまもお正月の支度をしているかのように、お墓に入っている仏様の私心が感じられないのです。
もしかすると、大堂で御祖様と向かい合っているのかもしれませんね。
時間が段々と夕方に近づいていくごとに、空気がぴーんとはりつめたようにもっともっと透明になっていきます。
そして、夜。
除夜の鐘の時間には、玉砂利に直接正座して鐘の音を聞いて居ても寒さを感じることもありません。
お墓を通って帰っても怖くありません。
大晦日のお寺は、特別な時空の中に存在するのかもしれませんね。
さて。
池上本門寺の除夜の鐘は、23時からの整理券配布から始まります。
除夜の鐘は一般に煩悩の数だけ、つまり108回打つといわれています。
宗派によっては、今年中に107打って、新年に始まりの1つを打つところもあります。
しかし、池上本門寺の除夜の鐘は違います。
今年中から始まるのですが、盛大に繰り広げられ、午前3時まで600人が鐘を打ちます。
荘厳な梵鐘が池上の町に響き渡り、行く年の心の垢を払い、清浄な新年を共に迎えるのです。
人の手から人の手に、鐘突き棒の手綱が渡されます。
その時に、いい年だったねという気持ち、日付が変わっていい年にしたいね、そんな気持ちがリレーされます。
108は煩悩の数、と定義づけされていますが、仏道的には、もう少し難しい意味を持ちます。
108でなければならない、108しか打てないということは、実は仏さまは決めてはいらっしゃらないのです。
日蓮聖人は、広い心で多くの人に鐘の音を委ねられたのです。
大晦日、お山も池上の町の空気も透明で澄み渡っています。
ぜひ一度、ご家族やご友人同士でお山の『除夜の鐘』を突き、新年を迎えられてはいかがでしょうか。