師走の語源

早いもので、ついに師走となりました。

さて、この「師走」、歳時記には、元来陰暦(今の1月10日ころから2月6日ころまで)の12月の異称であるが、現行暦12月の異称として慣用する、とあります。

まあまあ、12月を師走と言って間違いはないと思われます。

色々と調べてみると語源はさまざまあるようです。

一般的なのが、『師馳(は)月』(しはせづき)です。

家々で僧侶を迎えてお経を読ませるので、師(僧侶)が走るから師走という、です。

でも、ここ55年くらいは、12月の寒い時にわざわざ和尚さんが家に来る習慣はないけど、昔はお盆と同じく先祖のためにそんな習慣があったのです。

となれば、旧暦がドンピシャです。

今暦の1月16日(旧暦だと、12月7日あたりに当たる)は、今も昔もやぶいりで、年に2回地獄の釜の開く日です(もう一日は8月16日)。

この前後にお経をあげに来てもらったとすれば、師は走ります。

次に、日本書紀的万葉集的由来を書きます。

仕事(しごと)、四季(しき)、年(とし)の『し』をとったものです。

『わす』は、『果たす』=『終わる』ととらえます。つまり、年が果てる。と『し』が終わる。

つまり、『しわす』であり、『師が走る』は当て字として後に付けられたということです。

これは、すべてにおいて合点がいきます。

言葉遊びが好き というか、言葉に敏感な日本人の長い歴史においては、あり得る説明です。

一つの年が終わる。

1年が終わる時、人間というものは、今年のうちに、あれもやっておきたいこれもやっておきたいと心がとても忙しくなるものです。

特に、昔ですと、師業と言われる3職業である、教師や理美容師、医師などの仕事はピークに達し、自分の時間ではなく、他人に施す時間にとられてしまいます(特に昔は、理容師、美容師は、25日過ぎは朝5時から夜中1時2時まで働いていました)。

本当に走って行動しないと、ご飯さえ食べられない、トイレもおちおち行けないのです。

だから、あながち師が走ってまわる『師走』という言葉は間違いではないのかもしれませんね。

でも、できないことはできないとあきらめて、新年に託して、天皇誕生日からクリスマスイブに続く週末を、師業でもエンジョイして楽しく過ごす。

それが、師走のあり方に変わりつつあるのが現代、とでも言えるのでしょうか。