敬老の日
そろそろお彼岸も近くなってまいりましたが、明日9月17日は敬老の日ですね。
ハッピーマンデー制度ができて、9月の第三月曜日が敬老の日になり、毎年「いつ敬老の日だっけ」と悩むようになった昨今、敬老の日といえば、多くの国民が9月15日だよなと思っているはずです。
では元々、敬老の日はどうしてできたのかな?とふと思い立ち、調べてみました。
戦後、兵庫県で9月15日に「敬老会」が催されたのが始まりと言われています。
「老人を大切にして、年寄りの知恵を借りて村づくりをしていこう」
という趣旨からだということです。
終戦直後は、信長の時代のように人生50年というくらいは短い寿命ではなかったですが、60歳:還暦を機に年寄りの仲間入りをしたものです。
村や町には、出征のため若い男性はおらず、還暦過ぎの男性たちの考え方を借りて、女性たちが子どもを育て集落づくりをしていました。
当時の新聞を紐解くと、60歳以上の女性は、今ならセクハラものですが「63歳の老婆」などと平然と書かれていたようです。
70歳は「古希」古代稀なりであり、大方がまだまだ動ける60代であり、そういう人たちを敬い、またそれ以上生きている人を畏敬の念で暮らしていたと推測されます。
1963年(昭和38年)に、老人福祉法で9月15日が老人の日、9月15日から21日までが老人週間と定められました。
「敬老の日」と名称を変え、国民の祝日となったのは、1966年のことです。
今、世の中は高齢化社会です。
地方都市に行くと、60代以下の住民がなかなか自治会に参加しない、あるいは居住していないために、70歳で初めて敬老会に呼ばれる世代が準備をしていたりします。
もしくは、70歳はまだまだ若いから、77歳(喜寿)から敬老にしようというシステムで、77歳が音頭を取ってお料理の手配をしていたりするのも珍しくないそうです。
高齢者があふれているのに、子どもが少ないから、「敬老の日したから、孫の日もよろしくね」と商業ベースに巻き込まれたりもします。
人はただ歳をとっているのではありません。
その年齢になるまで蓄えた知恵や経験を積み重ねていきます。
もちろん例外もあるでしょうが、大概はそのようにして生きているだけで自然と尊敬に値する人間になっていくのだと思います。
医療が進化しつづける現代社会では、100歳を超えた人もあまり珍しくなくなりました。
統計上、全国では100歳超の方々は約70,000人ほどいらっしゃるそうで、そのうち8割が女性だとか。
それでも、親であり祖父母であり、顔見知りのお年寄りは、生き仏であります。
歳をとるたびに、生き死にと言う名の仏ではなく、仏さまの境地に至る人になっているはずです。
稀にそうでない方々がマスコミを騒がせていますが、仏のような悟りを開いてくださる生きる高齢者を敬老したいものです。