生まれると言うこと
とにかく、暑いです。
一昨日の7月29日、関東もようやく梅雨明けとなりましたが、2019年は平年より8日遅く、昨年より30日も遅い梅雨明けです。
そして、いきなりの夏本番モード入りで日中は過酷な陽気で、これではまるで何かの修行のようです。
ここまで気候にメリハリがあると、世代によっては身体的な影響も出てくるので、この厳しい厚さには皆様くれぐれもご留意ください。
さて先日、平成30年(2018)人口動態統計の年間推計(厚労省リリース)を見る機会がありました。
これによると、全国死亡者数は約136万となり、年々増加傾向で、ついに戦後最大の死亡数ということです。
反対に、出生数は約92万人です。
出生数が死亡数を下回る「自然減」は44万8千人と、こちらも過去最大の減少幅となる見通しとのこと。
確実に、容赦なく、人口減が進行しています。
これをみて、「なぜここまで人は少なくなっていくんだろう」などと、ぼんやりと思いました。
とある機会に、あるお上人さんとお話していた時に、この事を伺ってみました。
「人は生まれたら、死ぬという事は1セットなのです。物事も始まったら終わりがあるでしょう。」
とのことでした。
くわえて「でも、人はなぜ生まれてくるんだと思う?まだ、仏教的には産まれてくる定義はないのだよ」とも言われていました。
確かに。
コウノトリのご機嫌とか、神様の思し召し、生物的には精子と卵子が出会ったから、、、なのでしょうか。
でも、どんなに精子と卵子が出会っても、「生まれる」につながらないことのほうが多いのが現代です。
今の時代は、妊活を続けるとか、医学の力を駆使しての高齢出産などもあります。
それでも、妊娠に至らない方もいらっしゃいます。
現代では女性が主に悪いと責められる時代ではありませんし、常に同じくらいの理由が男性にもあります。
昨今の子供に対する虐待の報道を見聞きすると、「なぜ、産んだの?」と聞かずにはいられません。
赤ちゃんは、自分の親を選んで生まれてくることは出来ません。
「なぜ、人は生まれてくるのか」。
この答えは、私たちが生き切った瞬間に出るものかもしれませんが、生き切っての後では誰であっても語ることは出来ません。
「生まれること」の答えを、仏教界は常に考えているとのことでした。