もちろん縄文人にもお墓はありました
実は、私たちの祖先でもある、縄文人もお墓をたてていたことが分かっています。
しかも、それは縄文時代の黎明期と言われる1万数千年~約1万前には存在していたそうです。
この頃のお墓は家のすぐ近くに建てられたり、村の中にたてられたりしていました。
愛媛県上黒岩岩陰遺跡では(~B.C.4000年)住居として使用されていた洞窟の奥の部分が墓にされていたという、現代人にとってはおどろきな発見がありました。
住居の再奥がお墓というのは、なんとも不思議な感じがします。
また、この時期以降(B.C.4000年~)縄文人達は村を作って集団で生活をするようになりました。
お墓も、村の真ん中に共同墓地を建てていた村の存在が確認されていて、まだこの頃もお墓が生活の一部として存在し、墓が生活の中にとけ込んでいる様子が伺えます。
この時期の埋葬方法は、屈葬といわれるものが中心で、これは手足も曲げた状態、胎児がお母さんのお腹の中に居る状態のような格好で埋葬される方法です。
これには諸説あり、死者のよみがえりを恐れため起き上がれない様に屈葬にした、というものや、母体に還し再生を願うというものや、呪術説などがありますが、実際の所は、墓穴を掘る労力を減らすために屈げて埋葬し墓穴を小さくした、というものも有力だと言われています。
死を恐れてというのであれば、生活空間の中に墓を作ることに矛盾がある様な気もするからです。
ただし、縄文時代後期になると共同墓は居住空間から遠くに作られるようになりました.