戒名は不要という人が増加しているワケ

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かつての日本は、お寺と檀家の関係は一般市民の生活に密接に結びついていました。

それは戦後まで続き、お寺は檀家の心のよりどころであり、大人にとっては社交の場でもあり、子供達にとっては遊び場で、時に学校の様な役割まで果たしていました。

そんな、お寺と檀家の関係が近年急速に薄まりつつあります。

それは、かつて農業が中心で地域との結びつきが強かった社会が急速に近代化し、地域と人との関係が薄れたことと関係しています。

農業を営む社会では、地域の協力なくしては収穫もままなりません。

人々は協力することによって力を補いながら生活していました。

お寺は、そんな地域の人々の交流の場であると同時に、代々続く家の墓所を守ることによって〝家〟を守りました。

お寺は、地域の横の繋がりと、家族の先祖との縦の繋がりを同時に結ぶ要の様な存在だったのです。

しかし近代化を果たした日本には、人々が地域との繋がりを必要としなくなり、家族は族化して先祖と繋がる意味を見いだせなくなりました。

よく宗教離れの原因として、お寺の努力不足が言われていますが、現実には私たちの方からお寺を必要としない生活を手に入れてしまったように思えてなりません。

果たして、それが理由なのかどうかはわかりませんが、近年の葬儀では「戒名は必要ない」という人が増加しているのが現状です。

その数およそ半数。

葬儀の簡素化が加速度的に進行し、既に人々の間では宗教色の全く無い葬儀も一般的なものとして受け入れられ、浸透しています。

宗教の一つの側面として〝どうやって死を受け入れるか〟という問いが存在しているのは間違いのない事実です。

ですが、このような様相を目の当たりにすると、最早私たちには死さえ宗教の対象でなくなってしまったのかもしれないのでは?と感じざるをえません。