優雅かつ甘美な香りのお線香「和響」

今回は、尚林堂さんの「和響」をご紹介します。

和響は、インド産の最高級白檀をふんだんに使用して、丁子や桂皮などの漢方香料を調合したとても優雅な香りです。

その甘美な香りは、焚き終わった後の残り香まで、お客様の心に響くものと確信しています。

煙が少ないので、香りだけがなおさら引きだつのです。

さて今日はいつごろお線香ができたかをお話してみたいと思います。

歴史を伝える文献を読み解くと、室町から安土桃山時代の頃には。お線香が贈答品として用いられたということになっています。

ただ、当時のお線香は、中国から輸入されてきた竹芯香(ちくしんこう、細い竹ひごに線香の生地を塗り固めたもの)であると言われています。

当然、庶民が気軽に購入できるものではありませんでした。

では、日本でお線香が作られたのは、いつごろだったのでしょうか。

ちょっと調べてみました。

1667年に福州出身の五島一官という人物が、長崎でお線香を作り出したという記録があります。

1667年というと、時は江戸時代、徳川将軍4代目の家綱の時代です。

世の中は平和になりつつあった時代です。

ですから、戦国時代は、茶の湯などにしても、香道などにしても、白檀や伽羅、桂皮などの木の塊が重宝されたのであって、お線香ではなかったのです。

また、お墓参りのお線香もまだ、制度すらなかったような気がします。

五島一官が作ったのも、竹芯香であり、今のような竹芯を使わないお線香(杉線香や椨線香)などがつくられたのは、18世紀前半ではないかと言われています。

そのころの将軍には、5代綱吉から8代吉宗がいます。

経済の急成長により、商品作物の栽培も盛んになりました。

そういった経済の後押しもあって、日本のお線香が生まれたのではないかと言われています。

そして、気候があったのか、兵庫県淡路島を中心にお線香の一大産地が出来上がったのです。

ですから、淡路島を中心にした大地震が起きると、日本中の線香の流通が止まります。

いろんな品物の流通が止まる陰に消えてしまいがちですが、阪神淡路大震災の時には、全国的にお線香が夏ぐらいまで品薄になりました。

東日本大震災の時は、本州一帯で物流が止まったためにお線香が品薄になったのです。



池上本門寺 花峰 – 和響 大バラ

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