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日蓮聖人降誕会

さる2月16日、お山では「日蓮聖人降誕会」が執り行われました。

宗祖日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日にお生まれになりました。

安房の国狭郡東条郷小湊(現:千葉県天津小湊町)において、父・貫名重忠、母・梅菊のもとに生まれたのです。

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2018年2月28日 | コメントは受け付けていません。 |

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池上本門寺の朝食会

池上本門寺では、毎月第一日曜日午前7時から(朝の勤行後)、朝食会を行っています。

朝というのは、その日一日の朝日が生まれる瞬間です。

その朝の清々しい中で、お勤めをします。

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2017年12月19日 | コメントは受け付けていません。 |

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小松原法難会法要

11月11日土曜日、池上本門寺大本堂にて「小松原法難会」の法要が行われます。

午前10時から法要、午後1時から法話となっております。

さて、「小松原の法難」とはどのような出来事だったのでしょう。

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2017年11月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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松葉谷法難会

日蓮聖人が、文応元年(1260年)7月16日に、鎌倉幕府五代執権北条時頼に「立正安国論」を提出しました。

その内容が当時すでに起こっていた地震や異常気象、疫病や飢餓が、法然をはじめとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものだと、厳しいものでした。

それだけに、幕府へ宗教政策の転換(法華経を正法とする)を促すものでした。

政治の当局者をいさめる行為。

時頼は、事を荒立てるのを嫌い、聖人の予言・警告を無視しました。

しかし、幕府上層部の念仏信徒が、聖人の暗殺を企てたのです。

当時、聖人は、今でいうところの神奈川県鎌倉市にある松葉谷に草庵(後の法華堂)を構えていました。

文永8年(1271年)の龍ノ口法難までの約18年間、布教活動のための起居の場所でした。

ところが、「立正安国論」提出から約1か月後の8月27日に、上層部にそそのかされた念仏信徒(浄土教信者)によって草庵を夜間襲撃され、焼き討ちされたのです。

これをもって「松葉谷法難」と呼びます。

奇跡的に、聖人は、下総国中山に避難しました。

しかし、長くとどまってはおらず、しばらくは下総の土地で布教したのち、翌弘長元年(1261年)5月に、また草庵に戻りました。

その後すぐ5月12日に「伊豆法難会」が起こってしまうのです。

しかし、聖人は「法華経」の中で予言していた「法華の持経者は、しばしばところを追い出され、自分の住む寺から遠く離れることになるであろう」ですので、苦難に屈することはありませんでした。

8月27日は、日蓮聖人の徳を偲んで、法要を行っています。

11時から法要。

13時から法話が、松葉谷法難会として池上本門寺大堂で営まれます。



池上本門寺ウェブサイト>年間行事

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2017年8月25日 | コメントは受け付けていません。 |

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早くも「お彼岸」

暑さ寒さも彼岸まで。

今年は、3月17日(金)から、お中日の20日(月)を挟んで、23日(木)まで、春のお彼岸です。

「彼岸」とは本来、煩悩を脱した悟りの境地のことをいいます。

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2017年3月1日 | コメントは受け付けていません。 |

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